斎藤院長インタビュー

生活があって医療がある。
医療で人と巡り会う幸せ。

鳥取生協病院長 齋藤基

saito interview

Profile

さいとう・もとい

1978年
大阪市立大学医学部卒業
大阪市立大学医学部脳神経外科学教室入局
1985年
脳神経外科専門医資格取得
鳥取生協病院入職
2001年
鳥取生協病院副院長
2005年
脊髄外科学会認定医取得
2011年
鳥取生協病院院長

その他現職

  • NPO法人救命とっとり理事長
  • 愛真幼稚園理事

一つひとつの医療、
一人ひとりの巡り会いを大事にしたい

実は私は、町医者になりたいと思っていました。しかし、脳外科が専門なので開業するにはなかなか大変です。ところが鳥取生協病院に来てみると、患者さんとの距離が濃密なのです。それでいてベタベタするわけではなく、適当な距離感もある。ある患者さんが救急車で運ばれてきたとします。元気になられて退院して、何年か後に次は怪我をして来るかもしれない。その時には「あの時こうでしたね」「おかげさまで」という話が自然にできます。
大阪市立大学からの派遣で私が当院に来た頃は、入局後半年から一年ごとに病院を移ることで勉強する時代でした。私の場合、6年間の研修の最後は静岡の島田市民病院での勤務でした。そこで専門医の試験に合格したら鳥取に行ってくれないかと打診がありました。
鳥取ってどんなところ?と鳥取にいた経験を持つ部長に相談したら「とってもいいぞ、ずっといたかったくらいだ」と奨めてくれましてね。「何がよかったですか?」と訊くと「食べ物がよかった」と(笑)。じゃあ5年程度はいるかなと思って鳥取に来てみたら、今になってしまいました。
今に至るのは鳥取が気に入ったこともあるのですが、ちょうど自分で仕事ができるようになった時期と重なったのだと思います。都会では仕事が流れ作業のようになりがちです。ある疾患の方が来られて治ったらまた次へと。まさに一期一会、それで終わりです。
ここの医療はずっと一生続く。一人の方と救急車で巡りあった時から、お付き合いを一生涯続けることになる。一つひとつの医療、一人ひとりの巡り会いがとても大事なのです。おろそかにはできません。私にとってはこれが理想に近いスタイルだったのです。脳神経外科医として全うする気持ちで来ましたから、院長に就任するとは全く思っていなかったのですが(笑)。

日常的な疾患に
対応する救急を提供する

当院が鳥取市内の他三病院(鳥取市立病院、県立中央病院、鳥取赤十字病院)の仲間入りをさせてもらったきっかけは、救急医療でした。
1979年ごろ、当時の院長の段塚先生の時代に交通事故が急増し、搬送される患者さんも増加しました。医療が手薄となる土曜・日曜にもずっと診療を続けているとそれぞれの病院の医師が疲弊してしまうため、当院を含めた4つの病院で輪番制を敷くことになりました。
当院は他の大病院に比べると半分程度の規模ですが、「参加してくれないか」という要請があり、段塚院長も救急医療には是非参加したいという思いがありました。そこで院長が以前に勤めていた病院で知り合った私の恩師の白馬明助教授を思い出して、彼に協力をお願いすることになり、大阪市大より派遣されることになりました。
救急を担う4つの病院の中では、当院はサポーター的な役回りですね。中央病院は、重傷の患者や心臓の病気など、最終的な段階での医療を担います。私たちは、例えば高齢者の肺炎や小さな怪我など、コモン・ディジーズを対象に救急医療を担うことで、この地域のバランスを保てるのではないかと考えています。
私が1985年当院に着任した後でしたが、今後の高齢化を考えると脳卒中も増えてくることを予測し「脳ドック」もスタートしました。MRIによる脳血管撮影(MRA)の導入も当院が一番早かったですし、生協病院は新しいことに取り組むことが多いのも特徴です。
4つの病院はそれぞれ急性期医療の病院ですが、当院ではその後の回復期の病床を持って、家庭に帰るまでリハビリをすることで、社会に復帰しやすくする役割を担っています。移転・新築時にさらに充実させました。 
最終段階の医療ではなく、その手前で地域の人々に役立つ医療をしよう、そんな中間的な位置で、生協病院は重要な役割をはたしていけると思っています。

緩和ケアへの思い
足湯という思いやり

当院はがん拠点病院としての県立中央病院と鳥取市立病院と協力して、緩和ケア病棟で大切な役割も担っています。手術をおこない化学療法を施したものの、もうこれ以上治療を続けても苦しい場合に、どのような医療が提供できるか。家庭に帰るまでのケアの場が欲しい、または家庭に帰れないけれど豊かな人生を送りたい。それらを叶えるためには緩和ケアが必要じゃないか。これが前院長の夢でした。回復する人の隣には諦めなければならない人もいる。その人たちが同室で同じ療養生活を送ってよいのだろうか?と悩んでいたのです。
そこで新病院をつくる時、その一つの解決手段として緩和ケア病棟を置きました。職員のモチベーションを挙げて核になるものを、という思いもありました。
その病棟には足湯があります。珍しいでしょうか。「鳥取生協病院」とインターネットで検索すると「足湯がある病院」と出てきます(笑)。
足湯をつくったのは、以前の生協病院が手狭になったので移転しようという時、鳥取市長の計らいで、鳥取日本交通から日交バスの土地を貸していただきました。
するとこの土地には泉源がありまして、ぜひ病院で利用してほしいとのこと。しかし温泉はメンテナンスが大変なので、せめて緩和ケア病棟の皆さんに温泉につかってもらうために導入しました。地域の方々にも、外来に来た帰りに足を温めてもらえるように開放しています。
生協病院の成り立ちは生活協同組合ですから、組合員一人ひとりの出資金で運営されています。健康な方々からも出資金は頂いていますから、気軽に来て喜んでもらえるような施設にしたいですね。

研修一年目から
ここで育つ医師を育てたい

当院のこうした歴史、役割、雰囲気が、臨床研修にも活かされています。
通常の病院では、大学の医局から医師が来て各科を形成するわけですが、生協病院では30年も前から、研修一年目の医師がここで育つスタイルにしています。
医師として育つとはどういうことか。それは、どの患者さんにも自分たちの医療を平等に施せること。プライマリーケアができる医者として育っていただくために、今でいう家庭医を育てる研修制度が当時からありました。3ヶ月ごとに内科・循環器・消化器、外科と、どの分野も体験してもらう。スーパーローテートのさきがけとも言えます。2年間かけて自分に向いている分野を探せます。
さらに自分の得意分野、サブスペシャリティを持ちたいという専門医資格取得に応えることにも重点を置いています。
鳥取では、スキルを共有しようとする動きも活発です。私は大阪市大の出身ですが、他の脳神経外科医師は鳥取大、岡山大、神戸大と違う大学から集まってきていました。それぞれの医師が持つ症例を共有するため、月一回勉強会を開きました。この勉強会でかなり育てられましたね。大学も出身も全く関係なく、鳥取の東部で切磋琢磨するオープンな環境があります。「勉強会やるよ」と声を掛けると、地域の開業医の先生方もずらりと集まってきてくれます。 
特に今年から力を入れているのがNHKの番組『総合研修医ドクターG』のように、研修医が総合医の力を持てるようになる研修です。鳥取大学の前教授の重政先生は、以前よりずっと当院に勤めてくださっており、現在は木曜日に診療とカンファレンスにも来ていただいています。ベテランのブレーンも同席する研修で、総合医としての技を磨き、深い知識を習得できます。すべての疾患に基本的な知識を持ち、どんな患者さんが来ても診ることができる。さらに得意な領域を持つ医師を育てる。そんな育成ノウハウを持っています。
もちろん鳥取で育って外に出ていただいても結構です。その経験を宝物として持ち帰り、自分で得た技術を発揮してもらいたいと思います。

医療は生活の中の一部
生活があって医療がある

「この鳥取でずっと働いていこう」と後押ししてくれたのは患者さんの姿ですね。
忘れられない「石原のおばあさん」は、もう亡くなられましたが、私がここに来る前にご主人を脳腫瘍で亡くしまして、それ以来脳外科ファンになられて(笑)。身体の具合は悪くないのに毎週やってきて、脳外科の新しい部長が来たらあいさつに来るのです。
喋りは鳥取弁で、何を言っているかわからなくて(笑)。いつも身だしなみはきちんとして、ずっと診ていてあげたいなと思えた方でした。
私の考えの中では、医療は生活の中の一部なのですね。医療があって生活があるのではなく、生活があって医療がある。当然医療は大切なものとして付いてくる。しかし、より重要なのは生活の方なのです。医療さえ良ければ生活が良くなるなんてありません。生活環境や状況の改善、心の持ちようなどを踏まえた医療を届けたいのです。
鳥取には大きな産業もありません。地域の人たちは苦労しながら精一杯生きています。鳥取生協病院はそんな住民と一緒に生きていく。そこが私の気持ちに大きく同調できるところで、非常に気に入っているところです。

(鳥取県臨床医研修指定病院協議会『クリニコス 2012年春号』より)